歌川国芳は1788年に生まれ画号を一勇斎国芳といいます。
江戸時代末期を代表する浮世絵師で、奇想天外な発想に加え、斬新なデザインやデッサンを生かし浮世絵だけではなく広範囲に渡り多くの作品を残しました。
中でも、将棋を題材にした錦絵は有名であり、彼が描いた駒書体は人気を博し後の駒師達に大きな影響を与えたと思われます。
そんな江戸期の将棋に関する錦絵のコレクションです。
「駒くらべ盤上太平棊」一勇斎国芳
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本作品は浮世絵師の一勇斎国芳(歌川国芳)が天保十四年(1843年)に描いた大判錦絵三枚続の『駒くらべ盤上太平棊』です。
『駒くらべ盤上太平棊』には初版と後版とあり、初版は国立図書館が昭和63年に発行した「囲碁・将棋文化史展」の表紙に用いられ資料No79に紹介されました、本作も「囲碁・将棋文化史展」で紹介された版と同じ版の作品です。
一勇斎国芳の描く駒文字は、安清の草書体と同じ書体で駒を描く事が多く国芳の駒文字ではないかと思われます。
人形町具足屋の版です。
「駒くらべ将棊のたわむれ」朝桜楼国芳
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本作品は朝桜楼国芳と号しており歌川国芳の1844年頃の号ですので『駒くらべ盤上太平棊』よりも後年の作品だと思われます。
王手飛車取りを「飛車とり王将て」と副題にしており、人形町具足屋の版です。
国芳は将棋好きだったのでしょう、将棋の格言シリーズとして駒くらべ将棋の戯れは数種類は出版したようです。
一竜斎の号と朝桜楼の号の作品がありますが、どちらも歌川国芳の作品です。
「手駒なし詰将棊」作者不詳
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本作品は国立図書館が昭和63年に発行した「囲碁・将棋文化史展」の資料No81に紹介されてる作品で、この作品は作者不詳ながら珍しい作品との事です。
画像を拡大すれば駒文字が判別できると思いますが、王将や飛車は国芳の書体に似ていますが、それ以外の書体は異なります。
将棋の手合いを見つめる狐の殿様の前で、正装した棋士が野武士風の棋士に一方的に詰められる様子から当時の御城将棋を模したのではないでしょうか?もしかしたら野武士風の棋士は天野宗歩かも知れません、国芳がお得意とする風刺画風ですね。
この「手駒なし詰将棋」の詰め将棋について山本亨介(天狗太郎)は朝日新聞社発行の「将棋庶民史」の第十三章将棋の錦絵と狂画の186ページで紹介しており、その中で
「四十一手で詰むと解答を示してあるが、詰将棋研究家のあいだでは、この作は不完成で詰まないということである。」
と書かれております、そこで、錦絵の配置図では見難いので下画像に錦絵通りに配置した画像を示します。(画像をクリックで拡大)