豊島作 無名(信龍書)    
 
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多くの書体を開発した豊島ですが、駒名の無い駒は珍しいと思います。
駒形から普及品の廉価版の駒で、豊島が外職に作成させた駒で豊島工房ではありません、また作品的には何の変哲もない彫駒ですが、用いられている書体は信龍書です。
この駒には何故「信龍書」と書体名が書かれなかったのかは疑問ですが、おそらく外職の駒であり書体名を付ける程の確証がなかったのでしょう。
例えば、模倣した元駒が無名であったとか、模倣した元駒の駒師名を付けられないとか、豊島の完全創作書体で名前が無いなどですが、少なくとも過去に信龍名の駒師も書家も存在していた記録はありませんので、おそらく、何らかの元駒を参考にして創作した書体と考えるのが無難ではないでしょうか。
おそらく幕末の駒師真龍の名前を模倣して「信龍」としたのではないかと思われ、本駒は、逆に「信龍」の書体名は不適切で、あえて無銘としたのではないでしょうか。

一見何の変哲も無い普及品の駒ですが、本駒は多くの情報が隠れています。
仮に豊島の普及版の創作書体だとしても、当時流行していた書体を参考にして書体を創作しますから、本駒から明治大正の頃に流行った駒書体であろう事は想像でき参考になります。
そこで、豊島の残した駒書体の中から似ている書体を選んでみると、.本駒書体は法眼董斎書にも董斎書にも似ています、又、飛車、角行の裏字は董仙にも似ていますが、あえて選ぶとすれば.法眼董斎でしょうか。

現在の駒は残された字母紙を忠実に再現する駒が主流ですが、明治大正の頃は当時流行りの書家の駒字などを駒師が模倣しても駒師なりに独自に工夫を加えていたと思われ、本駒の書体も真龍の駒を模倣改良した書体ではかと思われ、本駒作者は奥野一香の職人が初代が亡くなると共に失職して、豊島の外職として製作した駒ではないかと思われます。奥野一香の古い駒も参考にしてください。