豊島作 鵞堂書   
 
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数々の駒書体を開発した豊島ですが、後の駒作者に模倣される事が多く、人気書体の一つである鵞堂書。

書体の鵞堂書は明治・大正時代に活躍した、かな書道の大家で現代のかな書道の基礎を築いた書家、小野鵞堂の書体です。
小野鵞堂は文久2年静岡県藤枝の田中藩武道師範、小野清右衛門成命の長男として生まれ、父の死後12歳で上京、苦学して大蔵省の書記となり、華族女学校教授を務め、和様の古筆、名蹟の研究を独学で続け、書の芸域を広め書道雑誌『斯華の友』を創刊し、国定教科書を著し、大正11年に没しました。
本作は駒形から昭和十年以降頃の豊島の後期の作品ではないかと思われます。
小野鵞堂が直接駒文字を書いたという記録はありませんので、小野鵞堂の残した「三体千字文」などを参考に豊島が鵞堂風な駒文字として創作した書体と思われます。

豊島龍山は記念駒には彫銘を用います、例えば書体処女作の駒や注文主や関係者の記念日などの特別な作品などです。
一般的に豊島の彫銘作品は特別な意味からも秀作が多く本駒は古木黄楊の根杢を用いて作られた作品で、彫られた銘も独特な書体で、この書体は一般には小野書としており、鵞堂書の書体名も豊島銘も珍しい作品として知られています。

小野書と言えば実は、豊島は小野五平十二世名人書の駒も作っていると、書籍に残りますが、小野名人書の駒を私は実見しておりません、実在すれば珍品ですので是非実見してみたいものです。

本駒は長年、駒関係者の間では豊島龍山の本物の作品と信じられ、豊島龍山作品の名品として知られておりました。
しかし、どんなに安い木地の駒であっても、数次郎作品にはその特徴がありますが、この駒にはそれが見られません。
本駒は、豊島の名駒として各種の将棋雑誌にも紹介され、将棋鑑定家や駒師、駒研究家に長い間、豊島作品と信じられ認められていた駒ですが、私の鑑定は異なりますので参考として下さい。



本駒は沢野(故人)氏が永年大事にしていた駒です。