木村香順作・菱湖書 黄楊駒台
木村香順は木村茂夫とその子、木村順一・順二3名の銘で企画・渉外を父茂夫が、指物は長男順一が、駒製作は順二があたっていました。
木村香順は将棋駒の製作が本業ではなく駒台などを主に手掛け、将棋駒師として順二を育てるべく熊澤良尊氏が当時「駒作りの会」を開催しその東京会場講習会に親子で参加しました、これを機会に木村香順は駒作りを始めます。
いわば、今日のアマチュア駒師の先駆者でもあり手間隙を惜しまぬ完璧な仕事を求め製作時間を惜しまぬ仕事には職業駒師には真似のできないもので、逆に専門駒師としては成立しません。
プロの駒師として食べるには一定の品質を維持しながら沢山の量をこなす高度な技と熟練を要しますが、アマチュアは納得するまで一組の駒に手間と時間をかける事が出来ます。
そんなアマチュア駒師の中にあって木村香順は、木を知り、彫を知り、漆を知る、言わば駒師として身に付けなければならない基本的な技と感性を持った上で将棋駒を作ったアマチュア駒師であり、その作品に妥協する事はなく、年に一作のみ納得のいく作品だけ世に送り出した駒師と言われております。
そんな木村香順だからこそ、生前のコーセー化粧品会長が連盟の名人駒は使用頻度が激しく盛上が減り掘埋状態になって使用されないと聞き木村香順師に宗歩好のコピーを制作依頼され連盟に寄贈されました。
現在も連盟のタイトル戦にはその駒が名人駒として使用されています。
また、本業である指物師としては日本将棋連盟との関わりからタイトル戦などに香順の駒台が使用されております。
父茂夫が亡くなってから駒の製作も指物も作っておらず、昭和の名工である師の作品は大変に貴重となり、多くの指物師にとって師の遺作は手本となっており、将棋駒についても同様に多くのアマチュア駒師が手本とすべき作品ではないかと思います。
駒台の底に彫り込まれた藤原行成書による「倭漢朗詠集」
『倭漢朗詠集』行成書(藤原行成の書)
白居易「府西池」「立春」(春の部) 柳無気力条先動。池有波文氷尽開
読み (やなぎにきりよくなくしてえだまづうごき、いけにはもんありてこほりことごとくひらく)
意味
柳は力無さげになよなよとして、その枝が春風にまずそよぎはじめます。
池に波紋が静かに広がるところを見ると、池の氷がみな解けたようです。
白居易「県西郊秋、寄贈馬造」「蓮」(夏の部) 風荷老葉蕭条緑。水蓼残花寂寞紅
読み (ふうかのらうえふはせうでうとしてみどりなり、すゐれうのざんくわはせきばくとしてくれなゐなり)
意味
秋風に揺れる蓮(はす)の古びた葉は物寂しく緑の色が残っています。
水辺に咲いた蓼(たで)の散りかけた花もさびしげに紅の色をとどめています。
白居易「送王十八帰山、寄題仙遊寺」「秋興」(秋の部) 林間煖酒焼紅葉、石上題詩掃緑苔
読み (りんかんにさけをあたゝめてこうえふをたき、せきじやうにしをだいしてりよくたいをはらふ)
意味
林の中で酒を温めるのに紅葉をあつめて、それを焚きます。
石の上に詩を書きつけようと、その上の緑の苔を払い落とします。
白居易「和李中丞与李給事山居雪夜同宿小酌」「冬夜」(冬の部) 一盞寒燈雲外夜、数盃温酎雪中春
読み (いつさんのかんとうはうんぐわいのよる、すうはいのうんちうはせつちゆうのはる)
意味
たった一つの寒げな燈火のもとで過ごす、雲の上にあるような(高い山の宿の)夜に、
数杯の暖めた酒を飲むと、まるで雪の中に春が訪れたかのようです。