龍山作・安清書        

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龍山作・安清書

本駒は昭和期の駒で、数多く残されている昭和期の安清書体とは少々字体が違いますが、本駒は豊島字母帳に残された安清書体です。
安清や清安は豊島が昭和の時代に何度も再編成しており、また、大正初期の書体は確認されていませんので、本書体が一番古い安清書体といわれていますが、実際に残されている安清書体の駒の中では割合に新しい時代に作られた書体です。
昭和期の安清書体と比べると王将や金将の将の左偏の字形と銀の左偏と歩の字形が特徴的です。
ここで、気付かれたと思いますが何か変です、豊島字母帳に残されている安清書体が古く、よく見られる普通の安清書体が新しい?
実は、この字母帳に残ったこの書体は静山が偽の作品として作り今日に多数残されており、一部の駒愛好者や鑑定家が初期龍山として評価していました。
静山の彫駒や盛り上げ駒も偽作作者として初期に作られた静山龍山銘が用いられており、静山にとっても初心者の頃の作品ですので稚拙な作品も多く、数次郎が14〜16歳の頃の初期龍山として評価して、ネットでも有名なサイトに紹介評価されており、多くのマニアに誤解を与えます。

そこで、私のコレクションにある清安書も合わせて見て頂きたいと思いますが、安清は清安の一派と思われ清安と安清の区別がはっきりとはされておらず、少しずつ修正していった結果かと思われ、古い安清や清安の書体を昭和の時代に最終的に安清、清安、に編成し直し、安清書体は本書体にしたと思われます。
俗に言われる太字の清安書体も安清書体で字母帳には清安と記されていますが、実は太字の清安は昭和12年頃に数次郎が(三代目安清書・坂田好)と銘を入れて駒を作り、坂田三吉に渡しておりました。
豊島は多くの安清書体を残しましたが、本駒の書体字母が安清の書体として最終的に残した書体です。
特に安清や清安の駒は実際に蒐集をしてみると少しずつ違った書体の駒が数多く見られ、豊島字母帳書体の他にも数多くの書体が存在したようで、昭和期には安清も清安も同じ書体になっている時期もみられます。

静山による偽作の龍山作品はこの安清書体が用いられており、特に初期龍山と呼ばれる静山龍山の安清書体は本書体を用いられておりますが、豊島の本物のこの安清書体作品は作品数も少なく豊島作品としては割合に新しい書体です。
本書体の新品の静山龍山作品(彫駒の安清)を静山コーナーに掲載していますのでご覧ください。


また、豊島は、安清や清安は清安一派の人で「同じ源氏の兵衛の子孫一派と認識しているようです。
源兵衛静山銘の謎にも豊島や増田芙蓉や信華の残された駒を蒐集して解析し、その作成年代から豊島が残した多数の安清・清安の謎について、私なりに解き明かしましたので他の清安書体の説明もご覧ください。


参考資料として下に駒のスキャナー画像と豊島字母帳の画像を見てください。
静山による偽作の龍山作品は本書体がもち入れられています。

 本駒のスキャナー画像
  
  昭和期や信華に見られ最も多く残る安清書体