龍山作 錦旗 (後水尾天皇御宸筆の写し) 
 
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「錦旗の駒」
本来「錦旗の駒」とは竹内淇洲が関根名人に贈った駒であり、この評判が広がるにつれ多くの駒師に模造される事となり、豊島も「錦旗の駒」を関根名人に自筆で書いてもらい、これを金龍書とし大ヒットさせている。
錦旗人気にあやかり奥野一香が金龍の書体の駒を写し「錦旗」と銘打ち販売して奥野一香の駒再興を果たし人気となりました。
しかし奥野一香が昭和13年に亡くなり「錦旗」銘の駒は絶えてしまい、「錦旗」銘人気に豊島は後水尾天皇御宸筆写しの駒の駒尻に「錦旗」と入れ発売する事となり奥野錦旗の写しを「錦鳳」とします。

後水尾天皇(1611〜1629)は徳川二代将軍秀忠、三代将軍家光のころの天皇、能書で知られる。寛永六年(1629)十一月、幕府の専横を恐れ明正天皇(女帝)に譲位してしまった天皇で、宸筆とは天皇の自筆という意味で、後水尾天皇が水無瀬書を写した御宸筆の駒は将軍家の家宝とされており、大橋家に写し伝わる後水尾天皇御宸筆写しの駒は、大正時代に将棋宗家の大橋家から十二世名人小野五平の手を通じて旧黒田侯爵家に渡り、黒田家の依頼により豊島龍山がその写し駒を作ったとされており、現在は木村名人のご遺族が所有されているといわれます。

しかし、明治期から大橋家の宗金は後水尾天皇御筆跡の写駒を多数製作しており、大正元年頃には大阪の国島権次郎が、大正七年には京都の重次が既に後水尾天皇御筆跡の写しの駒を製作しており、高濱禎の書き残した「萬おぼえ帳」の所有駒目録の中にも記されております。
実際には、既に大橋宗金が「後水尾天皇御筆跡乃写」の駒を相当数市中に流しており、国島権次郎や小林重次も宗金の駒を写しています、高濱禎は大正六年には奥野の駒、大正七年には大阪の駒、大正八年には豊島の駒を収集しており、豊島の駒は水無瀬、安清、清安、金龍、金龍筆真写、董仙、寳舟守田氏書(長録)、菱翁書(菱湖?)の駒を収集していますが、豊島の後水尾天皇御宸筆写や錦旗の記録はありません。

真相は、後水尾天皇御宸筆写の駒書体は江戸末期より市中に流れていたようです。
おそらく、豊島龍山は大橋宗金の「後水尾天皇御筆痕の写」の駒を模写して後水尾天皇御宸筆写(錦旗)を作ったのではないかと思われます。
豊島の錦旗は、多くの駒作者の中でも「後水尾天皇御筆痕の写」の書体の中でも最も似ていない書体で、豊島龍山により多くのアレンジが処されております。
豊島は先人の駒を写すにも必ず、豊島独自のアレンジを施しているからです

明治期の大橋宗金の「後水尾天皇御筆痕の写」や大正期の重次の「後水尾天皇御筆痕の写」の駒を参考に比較して下さい。
水無瀬→後水尾天皇→大橋家→豊島龍山と「豊島錦旗」は水無瀬駒を数代に渡り写し続けた、水無瀬書体の一つのバリエーションで、豊島の「錦旗」は最早、豊島龍山のアレンジにより豊島のオリジナル書体なのです。

掬水氏(桜井和男)によると「山形県松嶺(現在の酒田市松山)の石川文八は昭和6年に鳥海黄楊を東京の豊島太郎吉に送り盛上駒を作らせている。王将の底部に豊島作、裏に御水尾天皇御眞筆謹写と刻している。」とあります。
即ち、宮松勘太郎が「豊島が戦前には仮染めにも天皇の名を駒に刻むことができなかったから太郎吉はこれを“錦旗”と命名した」と話した事は単なる宮松幹太郎の想像であり、現実に豊島や他の駒師が天皇の名を戦前から駒に刻んでおり作成しています。
天狗太郎が調査もせずに、宮松の話をそのまま書籍に残した事により、今日に真実の事く伝わった全くの妄想話です。
豊島が「錦旗」としたのは確認されている限り奥野一香が死亡した後以降です、「黒田家の依頼により豊島龍山がその写し駒を作った」とされる話も宮松勘太郎の単なる想像です。

実際には、「錦旗」とは関根金次郎の所有する竹内棋洲書体の駒を指す名称で、豊島の「金龍書」が「錦旗の駒の写し」と評判となり大ヒットしていた事により、奥野が江戸期の駒師金龍の駒を写して「錦旗」と命名したのが最初です。
既に豊島は錦旗の駒として「金龍書」を持っていましたので、わざわざ「錦旗」を発表する必要もなかったのですが、奥野の「錦旗」が好評で良く売れました。
奥野一香が亡くなってから後に「錦旗」駒を求める者が多く、豊島もこの事態に対策を思い立ち、天皇の名を冠した後水尾天皇御宸筆写を「錦旗」として発売しましたが、豊島の「錦旗」の発売時期が大幅に遅れた事とその数年後に豊島親子が亡くなった事が、豊島の「錦旗」は奥野錦旗よりはるかに生産数が少なく、豊島の錦旗駒の残存数が非常に少ない原因です、「錦旗」の名は奥野幸次郎が名付け親で最初に売り出し、奥野が亡くなり豊島が錦旗の駒銘だけを模倣したのが真相です。(奥野一香の錦旗のコーナーも読んでください)
奥野幸次郎が亡くなり、「錦旗」を欲しがる人も多数いたでしょう、そこで数次郎は豊島の「錦旗」を発売しますが、単に奥野の後塵を踏むのを嫌い「錦鳳」銘の駒を作り奥野の「錦旗」は錦旗三旗の一つである日旗とし、豊島錦旗こそが錦旗の菊章旗であるとしたようです。

本来、関根名人の「竹内棋洲自筆の駒」が連戦連勝の縁起の良い駒として「錦旗の駒」が評判となり、豊島の「金龍書」が錦旗駒として売れており、奥野は江戸期の金龍書を「錦旗」と命名して商売を伸ばす事に成功しました。
それで豊島も「錦旗」の名にあやかろうと「後水尾天皇御宸筆写」を、木村は安清の駒を、それぞれ「錦旗」として販売したもので書体名ではありません、ですから決して錦旗書ではなく錦旗と表記しております。
錦旗は、それぞれの駒師が「連戦連勝出来る縁起の良い駒」として駒師が駒を売る為に勝手に選んだ販売戦略上の駒名であり、書体名ではありません。錦旗の書体は何でも良く駒師推薦の書体で良いのです。

しかし、豊島龍山が選んだ後水尾天皇御宸筆写しの駒は、潜龍、静山、宮松、など戦後の多くの駒作者が錦旗として豊島錦旗を模倣した事により、昭和30年代の頃から「錦旗」は、豊島錦旗が本物と風潮され広まったのは、天狗太郎が宮松影水が尤もらしく話して聞いた話をそのまま活字にして発表した事により、広く世間に信じられ広まり、奥野錦旗や木村錦旗は偽物呼ばわりされ、販売店でも取り扱われなくなり、今日では豊島の「錦旗」書体だけが最もポピュラーとなり、其々の駒師が「錦旗」として最も多く作っている書体となりましたが、本当の「錦旗」の駒とは竹内棋洲自筆の駒であり、書体は「棋洲書」です

掬水氏考案の書体である宸筆錦旗は、大橋宗金の「後水尾天皇御筆痕の写」や大正期の重次の「後水尾天皇御筆痕の写」の駒を参考にされた書体である事がご理解頂け、豊島錦旗とは異なる書体である事も理解出来るでしょう。

本物の豊島錦旗作品は残存数が極端に少なく、本物の豊島の錦旗を見た事もない駒作者がほとんどで、下記の静山の偽作作品をコピーしているのが現状で、現代の駒作者の駒文字に対する研究や知識は大いに問題です。



静山による龍山銘の駒
本物の豊島龍山による錦旗の駒は非常に残存数が少なく、残された多くの龍山銘の錦旗は99%が豊島龍山死亡後に金井静山が製作した駒で、俗に静山龍山と呼ばれる偽作の龍山銘作品で、下画像は静山が用いた偽名の龍山銘です。
豊島親子が死亡した後、遺産相続問題から、トミ未亡人は、豊島字母帳を含み工具や蒐集の駒などを宮松関三郎に売却し、豊島工房の土地と住宅を売却して、実家の熱海に帰りました。
即ち、豊島工房の駒の権利は宮松に売却移管されていたも同然で、生活の為とは言え、静山による龍山銘作品を数次郎が作った作品と偽り販売していた事は、豊島工房作品ではなく、静山とトミ未亡人工房の偽作と言わざるを得ません。

左側五つの銘は一見本物に良く似ていますので注意して下さい(銘は左から右に書かれています左二つは昭和20年以前三つ目は昭和25年頃の作品に見られます)。
右側二つの銘は一般に良く知られている静山龍山銘です。(銘は右から左に書かれています)
静山は一千組を超える偽龍山を製作したとの事で、豊島による本物は戦災により多くが焼失されましたが、戦中戦後に作られた静山龍山は今日に数多く残され、龍山銘全体の1/5以上は静山による龍山銘です。
特に錦旗や水無瀬の駒は98%以上が静山の偽作で、本物の龍山錦旗は極端に数が少ない書体です。
静山は初期には豊島字母をそのまま使用していますので書体で真贋を判断する事は間違いです(後期の静山龍山書体は玉将の点の形など知られている方法で判断できます)、作者銘の書体で判断する方法が簡単で確実ですので下の画像を参考にして下さい。
左二つの銘は静山により駒は作成されトミ未亡人が数次郎の遺作として販売された初期の作品で、ご覧の様に静山でも豊島の筆跡でもない第三者による筆跡ですが、木地の選定と整形をトミ未亡人が行い、静山が彫を担当し、トミ未亡人が、彫埋から盛り上げし銘書き仕上げまで行っており、トミさんの銘です。

トミ未亡人の長女が高校を卒業するまでこの関係は続けられましたが、左から三個目の書体から静山に銘書きを含み静山に任せたようですが、トミ未亡人と静山の協力関係は続き、かなり後期まで続いたようで、静山以外の彫屋さんにも彫を委託したようで、静山とトミ未亡人の作品が混在しています。


真贋の違いは銘だけの判断だけでなく、本駒と静山コーナーの駒を何度も見返し数次郎と静山の作風の違いを研究してみてください。
錦旗書体だけではなく他の書体でも必ず静山と龍山の選別眼を養えるでしょう。

 

私のコレクションに同じ書体の静山や宮松の「錦旗」駒や、大橋宗金の「後水尾天皇御筆痕の写」と重次の「後水尾天皇御筆跡の写」もご覧下さい。
又、当方蒐集に淇洲、金龍、そして豊島、奥野、松尾昇竜、木村、など「錦旗」の駒がありますので書体を比べて見るのも一興と思います。