静山作・錦旗書             
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金井静山は(明治37年〜平成3年 86才)東京の芝大門の質屋・金井庄兵衛の長男として生まれる。
豊島太郎吉の進めで昭和14年頃、豊島の外職として彫埋め前の彫だけを頼まれ仕事として始め、昭和15年に豊島親子が相次いで亡くなり、数次郎の未亡人トミさんの依頼で盛上駒を、およそ15年に渡り千組を超える龍山銘の駒を作りました。
静山は豊島の弟子と言われますが、数次郎が盛上げる前の彫りを太郎吉に頼まれ骨董商の店番をしながら片手間仕事として、一年間していただけです。
盛り上げなどは自己流で、ひたすらに豊島の字母紙に忠実で豊島龍山(数次郎)とは全く異なる作風です。
静山は、ただ単に豊島の字母紙通りに駒を作り、悪く言えば個性がありません。
綺麗に駒を作る職人に徹した為、それが逆に静山銘の作品の作風となり「柔らかい」「温かい」と多くの人に好まれ、大変に腕の良い駒作り職人として評価されていますが、豊島龍山の真作と静山のこの作品を見比べてその違いを研究して見て下さい、オリジナル駒とレプリカ駒の違いを見極める事ができるでしょう。
静山は龍山、宮松、美水、潜龍、香園、などの銘でも多くの作品を残したそうです。
それぞれ、理由はあるものの、頼まれ仕事(偽作)を数多く残し、皮肉な事に、逆に静山銘が一番多くの偽造者によって偽物が作られ存在します。

下画像は静山銘のリストで左から年代別に並べました、左から戦前、昭和25年以前、昭和35年以前、昭和45年頃、そして後年に用いられた静山銘です。
静山銘の見方は「静」の字の書き方に特徴があり、一般に「すてノろ+」と云われます。
初期には「すてろ+」と書き「す」の字の○を小さく書いています、左から3番目と4番目は「すてノろ+」で3番目は大きく書かれており、静山の銘書きとしては最も美しい銘です。
右側の二つは「すマノろ+」と書かれており、後年に用いられた銘ですが年代は分かりません。
下記の銘が静山作品の銘の全てではありませんが、その傾向でおよその製作年代は判別でき、静山作品をお求めになる時の参考になるでしょう、今後より多くの情報が集まればより詳細に情報提供できると思います。

静山銘の変化






    静山による偽作の龍山作・安清書

上記作品は昭和20年以前頃に静山の手による龍山銘の偽作です、駒木地はトミ未亡人が木地から整形まで担当していました。静山作品のほとんどは盛上げ駒作品ですが偽作初期の頃には彫駒しか作れませんでしたので、彫駒を作りました。
静山は彫駒を作らなかったと言われる人がいますが、静山銘も龍山銘での作品でも初期には彫を静山が漆仕事はトミ未亡人が担当していました。
トミ未亡人は豊島工房で駒作りの手伝いは当然しており、木地製作から仕上げまでの工程の知識を持っており、偽作製作初期の駒木地製作と漆仕事はトミ未亡人が担当したようです。
しかし、彫駒では利益が少ないのでトミ未亡人と静山は、盛り上げ駒にも挑戦して急速に腕を上げ、そのほとんどをトミ未亡人が販売しました。
この様な関係は15年ほど続けたようで、以降は静山は彫から盛り上げ仕上げ銘書きまで許されたようです、トミ未亡人も生産量は減りますが高齢になるまで続けたようです。
この偽作当時の駒を「初期龍山」と呼び、数次郎が14,5歳の作品ですと某有名サイトで某鑑定士と共に発表しましたが、全くの見識違いで静山と龍山の作品の見分けが出来ていません、何よりも、龍山真作の駒を実際に見ておらず、豊島作品の製作年代の研究ができていない事に起因します。
上記の安清書体は字母帳に残る最新の安清書体で、数次郎が14,5歳の時には豊島では字母紙すら出来ていません。
私が知り得た限りでは、静山龍山作品は、安清、錦旗、水無瀬、源兵衛清安の書体の偽作作品を確認しています。

さて、静山による龍山銘の駒作品は、少なくとも15年以上に渡り作られ、1000組以上の駒を作り、戦後に作られた駒は現在も多数残っており、俗に静山龍山の駒と呼ばれ、静山とトミ未亡人による偽作で両人の作が混在します。
下記に静山龍山の銘の一覧を示しますが、某有名鑑定士が唱える鑑定法は、銘の書き方向で鑑定する方法を唱えており、表面を上にした時に、右二つの銘は右から左に銘が書かれており、この銘が静山龍山銘と唱えておりますが、左の五種類の静山龍山銘は本物と同じ、左から右に銘が書かれており、書体も豊島母紙のトレースで、現在に残る龍山銘の90%以上は静山とトミ未亡人が作った龍山銘の偽作作品ですのでご注意ください。

豊島親子が死亡した後、遺産相続問題から、トミ未亡人は、豊島字母帳を含み工具や蒐集の駒などを宮松関三郎に売却し、豊島工房の土地や住宅を売却して、実家の熱海に帰りました。
即ち、豊島工房の権利は宮松に移管されていたも同然で、生活の為とは言え、静山やトミ未亡人による龍山銘作品「静山龍山」を数次郎が作った作品と偽り販売していた事は、豊島工房作品ではなく、トミ未亡人工房の偽作と言わざるを得ません。
熊澤氏がトミさん宅に訪れ、数々の豊島家の遺品を譲り受ける際に、この偽名作の錦旗駒を、「夫が義父の誕生日に義父に贈った品で、最後の数次郎の作品です」と購入を薦めたそうで、熊澤氏はその作品の出来を判断し、求めに応じる事はしなかったそうです。
最後の数次郎の作品は、現在、関東の某駒師が所有しているとの事です。
しかし、2019年7月、私も豊島数次郎の長男慶之助氏より、数次郎の最期の遺作一組との事で、駒を譲り受けました。
高級な島黄楊根杢の龍山作・錦旗書で、慶之助氏の姉美智子さんから、自身の高齢を理由に慶之助氏に譲られた駒で、慶之助氏も高齢になられ、私が譲って頂きましたが、残念な事に、やはり、作品は後期の「静山龍山」作品でしたが、実は、トミ未亡人による最後の作品のようです。
本駒の由来や豊島家の由来など、母とみさんから伝え聞いた事や思い出を手紙に自筆で書いて頂きましたが、最後には、トミ未亡人が読まれた歌も添えられておりました。

「枯枝に烏とまりけり秋の雨 ぬれたる翼しばし休めむ」 とみ



静山龍山の銘
さて、本作の安清書の駒は、本物の残された本物の龍山作品では割合に珍しい安清書体ですが、豊島字母帳にはこの最新の安清書体が残っております。
静山はこの安清書体しか知らずに作ったのです、また同様に他の書体の作品も字母帳に残る書体をそのまま写した作品だけしか作れません。
実は、字母とは書の骨格であり、この骨格を元に書として盛り上げる駒を作るのが豊島龍山で、数次郎の駒の特徴であり駒作品なのです。
本物の豊島龍山が残した駒を知らず字母帳の文字の輪郭をなぞったのが静山であり、静山など現代作家の多くのレプリカ駒作者の特徴です。
又、本作に用いられている漆は、初期の頃の静山作品や静山龍山作品の特徴でもあり、朱漆を混ぜています。
左二つの銘は静山により作成されトミ未亡人が数次郎の遺作として販売された当時の作品で、ご覧の様に静山でも豊島の筆跡でもないトミ未亡人の手による銘書きです。
トミ未亡人の長女が高校を卒業するまでこの関係は続けられましたが、左から三個目の書体から静山に銘書きを含み作成の統べてを委託したようですが、トミ未亡人も同じ銘を用いています。

本彫駒作品はほぼ新品状態で保存されておりました。静山龍山の偽作初期の作品です。
静山とトミ未亡人の盛り上げの見分けは、ある程度のデータが集まらないと正確ではありませんが、ある程度は見分けられるかも知れません。

   静山による龍山銘
  




       静山作・菱湖書

巻菱湖とは江戸後期の書家で姓が巻で名が大任といい号を菱湖と称します。ですから巻菱湖も菱湖も同じ人の書体で幕末三筆の一人で、大正8年頃に高濱禎が駒字として巻菱湖書を作り、豊島龍山に依頼して作ったのが始まりとされます。
この静山の菱湖は、基本的に豊島龍山の字母から始めて、静山流に多少アレンジされた菱湖書です。
豊島工房の字母紙帳や木地は宮松により買い取られ、豊島字母の権利は宮松に移管され宮松からの抗議により、静山は豊島の字母帳通りの駒を作れなくなり、多少アレンジしなければなりませんでした。
静山は木地にも駒型にも特別に拘りを持っていません、自分で駒木地を整形する事もなく木地屋さんから入手出来る駒木地は何でも用いました。
生前の静山の話によると、「木村文俊の家に行って、駒木地を分けてほしいと言ったら「素人に売る駒木地はねえよ」と、断られたそうです。
木村は静山よりも4歳年下ですが、駒作りは16年以上も先輩です、しかも、静山はほとんど修行時代はありませんが、木村は一応7年程、豊島で苦しい修行をしており、木村独自の字母や駒木地を持ち、独立独歩で工夫した木村にしてみれば、駒商達に言われるがままに駒作りし、独自の工夫もない静山を素人同然と叱咤するのは当然かもしれません。
初代竹風氏と静山氏は竹風氏が駒木地を卸していた事もあり、大変に仲が良かったそうで、大竹氏が上京する時には必ず静山氏に会っていたそうです、大竹師は静山氏より豊島字母を分けてもらい駒作りにおける書体を手に入れ、書体については昇竜書以外は豊島の流れを受け製作しています。
終戦後の木村、静山、宮松、大竹の関係がなんとなく感じるエピソードですね。
本作は静山の後期の作品です。
沢山の駒を作るうちに競い合う相手が物故者となり、そして何時しか静山は業界から持て囃されますが、駒作家ではなく単なる腕の良い職人です。


     静山作・長禄書

長録書とは明治の頃の東京池之端の薬屋「宝丹 」のご主人守田長禄の書体です。大変に個性的な書体で豊島龍山によって駒字が作られ、静山の作風に一番マッチした書体といわれ人気があります。
しかし、豊島龍山が残した本当の長禄書は、文字骨格は同じでも、この様なノッペリとした感じの書体ではなく、もっと鋭い書体です。
これが、本物の豊島龍山の駒を見ずに、単に字母帳から書体として写しただけの駒の限界なのです。
静山は確かに駒作りは上手で、仕上げも綺麗ですが、駒として最も大事な書体に関しては、本当の豊島の長禄書とは似て非なるものです。
将棋の駒の魅力は、キャンバスの上に書かれた書が命です。
どんなに良いキャンバス(木地)であっても、書そのものが、輪郭をなぞった塗り絵では印刷と何ら変わりなく、安い機械作りの駒と同じです。
綺麗に作る技術は日々進歩しており、現在の駒は綺麗に正確に作られておりますが、古の名工の持つ味は失われてしまった、と私は思います。
他人の作った字母紙(書体)を写(トレース)して作られたレプリカ駒は、多少の技術の差こそあれ、アマチュア作者と同じでどれも金太郎飴のごとくに思います。
さらに、偽作に手を貸すなどの行為に何の罪を感じていない感性は駒作者として品性が問われ、そんな者の作品を持ったユーザーの落胆は計りしれません。
現代駒作者が静山の感性作品を模倣し静山のレプリカ駒を作成する作品の傾向はどれも同じ作品の匂いがして非常に残念です。